2017年7月2日VOL.40-27No.2122
2017年1月1日VOL.40-01No.2096
2017年7月2日VOL.40-27No.2122
 ◎祈祷会6/28(水)エステル6:1~3
 渡辺師「眠れない夜も!」
 誰でもぐっすり眠れる夜があるかと思うと、一睡も出来ない夜もあります。
アハシュエロス王も眠れぬ夜に、日記(過去帳、業務日誌)を部下に読ませました。
そして過去の行政点検した時、そこで暗殺を未然に防いだ命の恩人に、
自分が何の報償もしていない失態を発見しました。
先達者は「朝にお茶を忘れたら三里行ってからでも戻って飲め」と言われます。
今年もはや半年が経過しました。様々な困難や苦境を味わったかも知れませんが、
その中で神が示し語り教えておられます。
心柔らかに信仰をもって豊かに対応する者となって、
この年の後半をスタートさせていただきましょう。
2017年6月25日VOL.40-26No.2121
 ◎祈祷会6/21(水)コロ1:24、25
 頼子師「教会Ⅱ」
 先回、教会とは他の集まりとは違う集まりであることを、聖書から確認しました。
共に健全な理解をして進みたいと願います。
教会は集まりですから、集まります。その中心は礼拝です。
復活を記念して集まる聖日礼拝です。そこで、一人の被造物として、
創造者全能者統治者の前に、頭を垂れ礼拝します。聖書のみことばを聞きます。
讃美歌の歌詞に託して、主をほめたたえ、感謝し、心の告白信仰の告白をします。
祈ります。そして最も大切にしている集まりです。
私たちはここに焦点を合わせた生活設計をします。
具体的には健康と仕事と諸用事を整えます。
(次回へ続く)
2017年6月18日VOL.40-25No.2120
 ◎祈祷会6/14(水)使徒6:1~2
 渡辺師「優先順位の修正」
 ここに「なおざり」(1)とあります。
放って置かれると言う現実は、
人間社会ならどこででも時々見受けられる光景ではないでしょうか。
並んでいても平気で無視する人もいます。
悪意がなくとも初代教会において、忙しさが原因で弱者や
マイノリティー(少数の人々)の生活にまで心がゆきとどかなくなってしまったようです。
12弟子たちは、急ぎ会合を持ち、この問題に小手先ではなく根本的な解決、
霊的なことを「後回し」(2)にすることに対応出来たわけです。
この世は効率だけを考えて営む傾向がありますが、
この世の判断ではなく、素晴らしい判断で対応しました。
私たちの信仰生活も見直して、優先順位のズレを修正させていただきましょう。
2017年6月11日VOL.40-24No.2119
 ◎祈祷会6/7(水)Ⅰコリ1:9、他
 頼子師「教会」
 教会とは、集まりです。
主との交わりに入るため召し出された者の集まりです(Ⅰコリ1:9)。
また素晴らしいみ業を宣べ伝えるという用事があって招かれた者の集まりです
(Ⅰペテロ2:9)。
そして主に約束され(マタイ16:18)聖霊に産み出された集まりです(使2:)。
また教会とは、
それぞれが目であり手であり足でありと言うキリストのからだであり(Ⅰコリ12:27)、
かしらはキリストです(コロサイ1:18)。
また教会とは、共に影響し合う天的世界大の有機体であり、
それぞれが見える形で地域に属し、教会籍を持つ組織体です。
2017年6月4日VOL.40-23No.2118
 ◎祈祷会5/31(水)渡邉師
 (最初)詩篇51篇。
 「砕かれたものの美しさ」。
器の傷に金粉を塗って焼くと美しい斬新な作品ができる。
この詩篇のダビデの心は「真実な心」(6a)の欠如を痛み、「隠れた心」(6b)を認めて、
「きよい心」(10)を求め、ついに神からの赦しの「悔いた心」(17)の実体験を戴いた。
(最後)使徒2:17、18。「老人は夢を見る」。最近、老人の暴走、逆送、孤独死などが多い。
社会の歪み、弱者の悲しみを思う。
老人には「教養(?)」が必要、「きょうよう」とは「今日、用」がある、外出の用事を持つこと。
聖書では、老人には「夢」が必要だと語られた。
人生の厳しさを体験してきた者に、「その日」に訪れる夢(希望)を約束された。
終末に神からの聖霊の大傾注があることを、
すべての者がリバイブされることを私たちも叫ぼう!
2017年5月21日VOL.40-21No.2116
 ◎祈祷会5/17(水)頼子師「救い」Ⅵ
 Ⅰコリ15:52~54、ピリピ3:21
 主の再臨時、私たちは、朽ちるものから朽ちないものへ、死ぬものから不死のものへ、
死は勝利にのまれ、主と同じ栄光の姿に復活、栄化されます。
私たちは、救いⅠからⅥまで学び確認してきました。
この一連のすべてをもって、広く大きく「救われた」と言います。
けれども私たちは、このすべてを知ってスタートしたわけではありません。
信じます、従っていきますとの小さなひと言のスタートが、
このすべての大いなる救いの恵みのスタートだったのです。
ハレルヤ!
2017年5月14日VOL.40-20No.2115
 ◎祈祷会5/10(水)ヨハネ14:26
 渡辺師「教え、思い起こさせる霊」
 今年もペンテコステ記念日(6/4)が近づき、聖霊を待望する時となった。
聖霊の職分(働き)は、イエス・キリストの栄光を現すこと(ヨハネ16:14)、
他にも罪と義とさばきの誤解を判らせる(16:8)。
またここでは「助け手」で、「すべてのこと」を
①教えるお方、②思い起こさせるお方、と示されました。
もし私たちの心と態度に、このお方の声を聴く準備と待ち望みがあるならば、
確実に具体的に実際的なことまで教えて思い起こさせてくださるのです。
前方(将来)を向き豊かに教えられ、
後方(過去)を向いて深い意味を悟るペンテコステの時とさせて戴こう。
2017年4月30日VOL.40-18No.2113
 ◎祈祷会4/26(水)Ⅰテサロ4:15~17他
   頼子師「救い」(Ⅴ)
 再臨というとテサロニケ人への手紙です。
再臨の時、死者がまず初めによみがえり、次に彼らといっしょに、
生きている者が空中に一挙に引き上げられ空中で主とお会いします。
号令、御使いのかしらの声、神のラッパの響きと共に、主は天から下って来られます。
その時は、夜中の盗人のように、平和だ安全だと言っているとき突如訪れますが、
光の子どもである私たちには盗人のようにではありません。
また大患難時代と言われる描写は、マタイ24章が詳しいです。
この手紙は、再臨と共にきよめが強調されています。
興味本位でなく不健全でもなく間違った情報、
間違った理解と適用から守られ再臨の理解が聖きを歩む材料となりますように。
2017年4月23日VOL.40-17No.2112
 ◎祈祷会4/19(水)渡邉師
   (司会代行)「弱いものとなる」
   (Ⅰコリント9:22)
 「病気をしてみないとなかなか優しくなれないのかなぁ」と耳にした。
 パウロも「弱いものには弱いものとなった」と語った。
 私たちは苦しみをいぶかり深く悩む時がある。
 この時こそ自分の弱さを認め他の弱い人に同情できるようにと準備される、
 神の特別扱い(VIP)と受けとめようではないか。
(後半の聖書)「結末見て信仰に倣え」ヘブル13:7
2017年4月16日VOL.40-16No.2111
 ◎祈祷会4/12(水)Ⅰヨハネ1:7他
   頼子師「救い」Ⅳ
 聖化の恵みは、第二の転機・全き愛・キリスト者の完全・聖霊の満たし等々、
 その内容をあらわす沢山の言葉で表現されます。
その中の一つは、光の中を歩む生涯(Ⅰヨハネ1:7)です。
一例として、知りながら他者に対して意地悪い心で歩むか、
良心の光の中で愛とゆるしの中を歩むかと言った問題です。
そしてこれは、子として訓練されていく生涯(ヘブル12:7~10)です。
何かができるようにと言う以上に、ご自分の聖さにあずからせようとしてです。
信頼して委ねきる(献身)ことによって経験できる恵みです。
一歩の踏み出しを、そして一歩一歩のこの恵みの中の歩みを!
2017年4月9日VOL.40-15No.2110
 ◎祈祷会4/5(水)Ⅰ列王3:3~15
   渡辺師「聞き分ける心」
 ここは父ダビデの後を継いだソロモンのことが書かれています。
彼は自分でも若い者で、小さい子の様でと自覚していました。
多くの国民の訴えを正しく裁くには、その重圧と困難を自覚していたのです。
彼は夢の中で「何が欲しいのか、願え」との神の声を聞いた(5節)。
彼は「おびただしいあなたの民を正しく裁く知恵の心を下さい」と願いました。
それは「聞き分ける心」(9節)であり、耳で正しく聞く力、聞いて深く分析する力、
そのことを豊かに語り出す心が欲しいと願ったのでした。
この願いが御心にかない、他に長寿、富、命の日を長くすると約束されました。
2017年4月2日VOL.40-14No.2109
2017年3月26日VOL.40-13No.2108
 ◎祈祷会3/22(水)ヨハネ1:12
   頼子師「救い」③
 救いの世界には、十字架によってのみ(神のみわざ)、
 悔改めと信仰によってのみ(私たちのすること)入れることを先回確認しました。
その私たちにまず与えられる恵みは、義認と新生です。
義認とは、立場の変化です。神の側からは救いの立ち位置に立ちましたよ、
無罪放免ですよ、義と認めますよとの宣言であり、
私の側からは救いの側に立ちました、クリスチャンになりましたとの意識と告白です。
新生とは、中味の変化です。神の側からの新しい生命と性質の賦与であり、
私の側では、頂いた新しい生命の育みのスタートです。
クリスチャンには手続き(条件)を踏めばすぐなれます。
クリスチャンらしくなって行くには時間がかかりますね。
2017年3月19日VOL.40-12No.2107
 ◎祈祷会3/15(水)Ⅱコリント4:~10
   渡辺師「再起する力を!」
 この箇所の9節で、「倒されますが滅びません」とパウロは述べております。
これはパウロが宣教で経験したことでしょう。
彼は石打で郊外に放り出され死んだものと思われたが、
再び立ち上がって宣教を続けました。
いま大相撲が放映されているが、初日から横綱が破れ波乱の場所となっている。
相撲なら倒れた時点で敗北だが、パウロの表現はボクシング(格闘技)を想起させる。
「ノックダウンされてもノックアウトはされない」と。
私たちをノックダウンしようとするものは多くある。
病気、疲労、心配事、金銭的な欠乏、年齢的な課題などなど。
私たちを最善に導かれる主を見上げ、
復活の希望と力を抱いて再起するものでありたい。
2017年3月12日VOL.40-11No.2106
 ◎祈祷会3/8(水)使徒20:21
   頼子師「救い」(Ⅱ)
罪の世界にいた私たちに、働き続けていた先行的恩寵があったこと、
そして救いの世界に渡るには、
神が備えてくださった十字架以外にないことを先回確認しました。
ではどうしたら、私は救いの世界に入れるのでしょうか。
今までの生活にピリオドをつけ(悔改め)、スタートをきることです(信仰)。
神を悲しませていた根本的な悔改めと、
人に対する申し訳なさの悔改めと、十字架への信頼です。
救いは、より罪がわかる世界、より悔い改めが深められていく世界、
より主の助けの必要を認め信頼していく世界、
より自分にも他者にも十字架の赦しを認め信頼していく世界のスタートです。
うれしいですね。
2017年3月5日VOL.40-10No.2105
 ◎祈祷会3/1(水)ピリピ4:6
   渡辺師「感謝は偉大な推進力!」
 信仰者の人生の大切な要素の祈りは、
特別であり更にその中でも感謝のお祈りは大切と思う。
主イエスの地上生涯では、五千人の給食と七千人の給食、
そして「最後の晩餐」の席上でも、大きな感謝の祈りがささげられた。
パウロの手紙では、絶えず感謝(エペソ1:16)、喜びをもって感謝(コロサイ1:12)、
目を醒まして感謝(コロサイ4:2)、キリスト・イエスに感謝(Ⅰテモテ1:12)、
あらゆる場合に何事も感謝(ピリピ4:6)、
多くの感謝をもって(Ⅱコリ9:12)と、証しととに私たちに勧めている。
「感謝」こそ喜びと恵みと輝きに満ちたクリスチャンのジェットエンジン(推進力)です。
私たちが小さなことも見落とさずに感謝の光の中で祈るとき、
水分補給を得たランナーのごとくにどこまでも疾走出来るのです。
2017年2月26日VOL.40-09No.2104
 ◎祈祷会2/22(水)使徒20:21
   頼子師「救い」(前半)
 私たちは、罪の世界にいた。
神を知らない世界、知ろうとしない世界、
神を認めない世界、認めようとしない世界である。
見ておられる、聞いておられる、知っておられると神を畏れもしないし、見ておられる、
聞いておられる、知っておられるとその愛、励まし、慰めも受け取れない。
しかし、そこに働き続けていた神の恵み(先行的恩寵)があった。
救いに応じる機会である。
私たちが救いの世界に入れていただくには、十字架以外にない。善行を積んでも、
知識教養を身につけても、クリスチャンの交わりに加わっても入れない。
神に対する悔い改めと主イエス・キリストに対する信仰によってのみである。
(次回に続く)
2017年2月19日VOL.40-08No.2103
 ◎祈祷会2/15(水)ヨハネ:39、42
   渡辺師「福音を語る姿とは」
 ある人の「定期刊行物のバックナンバーから」文章で感じたことを語り合う時を持った。
福音を語る時、聖書やキリスト教的なことを
一方的に自分たちの物差し(価値観)で提示しやすいと思う。
正解か否かより大切なこと、それは愛をもって寄り添う心ではないでしょうか?
このサマリヤの婦人は①私の全部を言った人がいると証言(39)。
②人々は「自分で聞い」たと告白③「ほんとうに世の救い主」だと自ら告白した(42)。
私たちの証しも知識に留まらず、主との出会いの喜びと驚きを語り、
心から溢れ出る恵みが手渡される機会でありますように。
2017年2月12日VOL.40-07No.2102
 ◎祈祷会2/8(水)ローマ3:23、他
   頼子師「罪」
 一般的に罪には法律的、道徳的、宗教的罪があります。
聖書では創世記3章に、
人は、神のようになりたくて神の信頼を裏切り神の命令を守らず、
罪が入り罪を犯すようになったとあります(罪の起源)。
それ故、人は神のようになろうと的外れな生き方をします。
その範囲はすべての人に、そして全人格に及んでいます。
罪の支払う価(結果)は死です(6:23)。
聖書は、死とは存在が亡くなることではないと言います(ヘブル9:27)。
私の内に働く罪の存在とその恐ろしさがわかりますか。
救われるとさらにわかり、救いの恵み赦しの恵みもさらに深く豊かにわかってきます。
2017年2月5日VOL.40-06No.2101
 ◎祈祷会2/1(水)ルカ15:11~24
   渡辺師「キリスト教の救いの内容」
 語り継ぐ「聖と宣」(IGM説教集)放蕩息子に用意された「五重の恵」。
①抱擁と接吻(20)罪の赦しと和解。対立関係の父と子の和解。
②美服(22a)過去の罪の汚れから洗いきよめられる。
悪習慣、悪癖からの解放。
③指輪(22b)無限の祝福の相続人として神の子とされる。
奴隷は指輪をしない。
④靴(22c)家族だけが靴を履き奴隷は靴をはかない。
靴は長距離を歩く力を意味。
⑤大食卓(24)素晴らしい晩餐。上からの豊かな供給の中で生活。
(感想)信仰者は「雇い人の一人にしてください」の心で(19)、
神の家族で喜び仕える者となる。
常にその心で歩みたい(22c)。
2017年1月29日VOL.40-05No.2100
 ◎祈祷会1/25(水)イザヤ45:5
   頼子師「神さま」
 神々の世界ですと、便利なもの心地よいものを周りに置くように、
便利な神ご利益のありそうな神を私の周りに置き、私が主となります。
しかし聖書の神さまはおひとりであり、主であると宣言しています。
創造主と被造物の区別が無く境界が曖昧ですと、
人間が神を作ったり神になったり、変な宗教が生まれてきます。
聖書の神さまは、人に作られた神ではなく人を創造された神さま、そして、
全知全能を持って今も私たちのために働いておられる神さまです。
あなたがこの神さまを最初に個人的に体験されたのはいつですか。
あなたの神体験を大切にそして豊かに。
2017年1月22日VOL.40-04No.2099
 ◎祈祷会1/18(水)ルカ5:4、他
   渡辺師「深みに招く主」
 イエス様はシモン(ペテロ)に「深みに漕ぎ出して」と語られました。
主は私たちに現状維持ではなく新しい方向に向かう「深みに漕ぎ出す信仰」の
心を求めておられます。それは恐れ、不安、結果を気にする思いになることでしょう。
しかし神様の備えは充分で、見たこと、聞いたこと、
想像したことをはるかに越える準備をして待っておられます(Ⅰコリ2:9、10)。
その具体的な方法(鍵)は、
「御霊」に導かれて神の深い御心にまで私たちを導びかれること。
大切なこのことを再認識して、感謝してお従いさせていただきましょう。
2017年1月15日VOL.40-03No.2098
 ◎祈祷会1/11(水)ヨハネ20:31
   頼子師「聖書」
 聖書は、神さまから私へのラブレターです。
ラブレターをいただいたら、その方のことを知りたくなりませんか。
ラブレターを書くなら、何とか思いを伝えたいと願いませんか。
このラブレターの成立は、偉大な指導者・王・預言者・取税人・医師・漁師など
40人の記者によって、BC1500年頃聖書の最初の「はじめに」が、
AD100年頃最後の「アーメン」が記され、325年のニケア会議で聖書と制定されました。
このラブレターの組立は、古い契約の旧約と新しい契約の新約、
世界の初めから世界の終わり迄の組立です。
目的は、読者が信じるため(救いに導かれるガイド役)
信じていのちを得るため(神と人とに役立つ者と育てるトレーナー役)です。
2017年1月8日VOL.40-02No.2097
 ◎元旦/聖日礼拝の中から1/1(日)
  詩篇127:1~15
   渡辺師「主の賜物(相続地)」
 ここはソロモンの都上りの歌である。
1~2節には、私たちが建てる家庭について。
その努力と労働の努力の中心に、主への信仰が満ちていることの幸いが歌われている。
あの壮大な神殿を造ったソロモンは立派な建物と辛苦の労働よりも
そこに主がおられる主との幸いを歌った。
3~5節には、子供たちは主からの賜物(相続地の意)であり報酬だと語られている。
私たち信仰者の子供こそ最大のその賜物であり報酬である。
だからこの子供たちに真の神を教え、みことばを語り、
どんな苦難と迫害の中でも神への信仰を継承するようにと訓育するのである。
その様な者こそ、矢筒に矢を満たした若者であり、
私たちの信仰を相続する大切な継承者である。感謝。
2017年1月1日VOL.40-01No.2096
 ◎祈祷会12/28(水)ヨハネ20:13~16
   渡辺師「振り返る心を」
 ここはマグダラのマリヤが復活の主とまっさきに出会った出来事である。
Ⅰ、途方に暮れるマリヤ(13)ただ泣いて涙し、
誰がいてもただ一方的に自分の現状、主張、疑問をぶっつけるマリヤの姿があった。
Ⅱ、後ろを振り向くマリヤ(14)振り向き見てもイエスとはわからなかった。
生活の中でも振り向き確認するが気が付かないことが多々ある。
Ⅲ、再度振り向くマリヤ(16)
マリヤはイエス様の「ラボニ」との声にようやく反応し気がついた。
今年を①何度も振り向く(反省)大切さ。
②イエスの声を受けとめる大切さ。
個人的に、親しく、
愛をもって呼びかけ語られる主の声にしっかり反応する者とならせていただこう。